『ライバル』

「──あ」
 スタジオでの練習が終わり、翔平がブースを出ようとしたそのとき。
 向かいのブースのドアが開き、ギターを担いだ始が顔を出した。
「げっ、ヘブンズドア」
 こちらのバンド名を口にして、始は思い切り顔をしかめる。
 翔平も、遠慮なく舌打ちをした。
(くそ……こんなタイミングで、また同じスタジオで練習してるとはな)
 明日のライブの対バンは、始たちのバンド、ダイダラボッチだ。近ごろはライブに出るたび対バンにブッキングされていて、いい加減うんざりしていたところだった。
(次のライブこそは、こいつらのこと引き離してやろうと思ってたのに……)
 苦々しく奥歯を噛んでいると、向かいのブースの奥から出てきた悠介が、始にこそこそと耳打ちをする。
「ちょっと……面と向かって『げっ』はないでしょ、始ちゃん」
 ベースを担いで出てきたのは、昔、五十嵐と同じバンドにいたという新田だ。
「なんだよ、始。さっさとフロント行けよ」
「俺もう腹減っちゃったよ、始くん。次の練習の予約して、飯行こうよ」
 キャップを逆さにかぶった乾も、始たちの背後から顔を覗かせる。
 そこで、
「おい、どうした翔平……っと」
 ブースの出入り口で立ち止まる翔平を訝ったのか、五十嵐が背中に声をかけてきた。
 その五十嵐も、対面のブースをダイダラボッチが使っていたことに気づいたらしい。ぐっと険しい目つきになる。
「翔平、どうしたー!?」
「知り合いでもおったか?」
 五十嵐のうしろから、蓮と公太がひょこひょこと顔を出すが、こちらもダイダラボッチの姿を見ると眉根を寄せた。
「いや、別に。俺たちが関わって得のあるやつらじゃねーよ」
 翔平は、始に聞こえるようにそう言うと、睨み合っていた視線を外してブースを出る。
「なっ……!? てめえ、翔平……!」
 いきり立つ始を無視してフロントに向かった。
 ダイダラボッチのメンバーが追いついてこないうちに、会計と次回の予約を済ませ、スタジオを出ようとする。
 だが、メンバーのあいだで料金を精算しているうちに、新田にすべてスタジオ代を支払わせたダイダラボッチに追いつかれた。
 スタジオ正面の自動ドアが開いた瞬間、翔平と始は、ざっ、と同時に足を踏み出す。
 駅へと向かう道を歩きはじめると、あとにはそれぞれのバンドのメンバーが続いた。
「なんだよ始、こっち来んじゃねーよ」
 翔平が一歩先に出ると、
「俺らも駅行くんだからしょーがねーだろ。つか隣歩くなよ、邪魔くせーな」
 と、始は翔平を牽制するように、もう一歩先に行く。
 後ろを歩いている五十嵐も、
「おまえらは急ぐ必要なんてねーだろ、ゴル☆ゴダ。ろくにライブにも呼ばれねえのに」
 と新田を抑え、
「うるせーな、バイトだよ。おまえらはバイトの口もねえのか、ミカエル」
 新田も五十嵐を煽る。
 一歩を踏み出すペースが上がる。
 おたがいが少しでも先に出ようと、だんだん早足に、大股に。
 気がついたときには──。
「始……おまえは絶対、俺には勝てねーからな!」
「んだと翔平!?  俺がおまえに負けるかよ!」
 ついに全力疾走をはじめた先頭のふたりを追って、メンバーも走り出していた。
「うわ……なんや翔平、いきなり走り出さんといてや!」
 重いベースを背負った公太は悲鳴を上げて、
「ちょっと、始くん……!?」
 状況を飲み込めず、乾は泡を食ったような顔をしている。
「お、なんだ、走るんなら負けねーぞ!?」
 蓮は走りながら腕まくりをし、
「もー、勘弁してよ、始ちゃーん!!」
 同じく悠介は走りながら頭を抱えた。
 そのまま走って、走り続けて──ようやく、駅に着くころには。
「……っ、はぁっ……」
 ヘブンズドアもダイダラボッチも、両膝に手をつき、ぜいぜいと肩で息をしていた。
(くそ、引きわけか……)
 翔平が胸を喘がせていると、始も同じことを考えていたらしい。
「……ま、音楽では、俺らのほうがぜってーに勝ってるけどな」
「──は? それはこっちのセリフだろ」
 睨み合っていた翔平と始は、同時に大きくそっぽを向いた。
「行こうぜ、みんな」
「行くぞ、おまえら」
 メンバーに言う言葉までかぶって、かっと頭に血が上る。
 始たちからはなるべく遠い改札を通りながら、翔平は密かに腹を固め直した。
(見てろよ、ダイダラボッチ……)
 ──どっちがいい音楽をやってるか、次のライブで徹底的に思い知らせてやる。
 決意を込めて始を見る。と、始もまた、同じことを考えていたのだろうか。かち合ってしまった視線に、思いきり嫌な顔をする。
 翔平と始は、ふたたび盛大にそっぽを向いて、今度こそ対面のホームへと別れた。