『お花見』

花見をしようとRENが言い出したのは、二日前のことだ。
 練習の帰り道、自宅の近所で楽しそうにしているのを見たという。
「花見?」
 SHOが目をぱちくりさせて言うのを、ARASHIは意外な気持ちで見た。
(こいつ……もしかして、乗り気なのか?)
 出会ったときから音楽に対して真面目で、どちらかというとインドアな印象の強いSHOだ。二人でいるときはずっと音楽の話をしていたし、SHOが花見のようなイベントに興味を示すのは予想外だった。
「ええやん、花見」
 ストレートにやる気を見せたのはKO-TAだ。
「バズ・ロック・フューチャーで優勝したし、メジャーデビュー目前やし? 景気づけに、パーッといこうや」
 パーッと、という言葉に合わせてKO-TAが腕を広げると、SHOの口元がわずかにほころぶ。
「そうだな。景気づけは必要だよな」
「お、じゃあ?」
 期待に満ちた目で見るRENに、SHOは軽くうなずき返した。
「明後日、おまえら全員オフだろ。やろうぜ、花見」
 というわけで、The DIE is CASTのメンバーは、前代未聞のアウトドアイベント──花見を、今夜開催することになったのだが。


 リーダーに場所取りを仰せつかったARASHIは、大振りの枝を広げた桜の下に、ほどよく空いたスペースを見つけた。
(あそこなら、メンバーから文句も出ねえだろ)
 ブルーシートを抱え直し、桜の木の下に近づく。
 すると──。
「……?」
 スペースの隣に広げられたブルーシートに、よく見知った顔がある。
 目を細めて確認すると、DICとなにかと因縁のあるバンド、ダイダラボッチの悠介だった。
「あれ? DICの……」
 悠介のほうでもこちらに気づいたらしく、ぺこりと頭を下げてくる。
(ここだと、SHOが始につっかかるか……)
 どこかほかの場所は、とあたりを見回してみるけれど、適当に空いたところがない。
「やっぱり隣同士だと、始ちゃんとSHOがケンカしちゃいますよね……」
 悠介も同じことを考えたようで、自分が悪いわけではないだろうに、はは、と決まり悪そうに笑った。
「まあ……そうだろうけどな」
 ARASHIは軽くため息をつくと、腹を決める。悠介のシートの隣に、自分の持っていたブルーシートを置いて広げた。
「えっ? いいんですか、隣で」
「まあ、酒の席でまで取っ組み合いはしないだろ」
 バズ・ロック・フューチャーのとき、ARASHIはSHOが始のために動くのを見て、DICとダイダラボッチは今後いいライバル関係になるのではないかという予感を覚えた。
 悠介も、似たような心境でいたのだろう。
「そうですよね。バズ・ロックのときくらいから、DICとは仲よくなれそうな気がしてたし」
(……こいつ、思ったより気が合うかもな)
 ARASHIはブルーシートを敷き終えると、靴を脱いで座り込む。
 春とはいえ、日が沈むと肌寒くなってきた。
 悠介も、隣のブルーシートで首を縮めている。
「そっちはおまえが場所取りか?」
「はい、酒とかメシは、バーでバイトしてる始ちゃんと、中華料理屋でバイトしてる乾が。新田くんも直前までバイトらしくて……って、新田くんとは同じバンドだったんですよね」
「ああ、ゴル☆ゴダか。そうだな、ゴル☆ゴダとは昔──」
 ふだんこんなにゆっくり話す機会はないが、ぽつぽつと喋りはじめてみれば、悠介とは同じパートだけあって、共通の話題も多かった。
 好きなギタリスト、よく聞いたCD、感動したライブ。おたがいのバンドのボーカルと、長く一緒にいるところまで同じだ。
「いやー……それにしても、おたがいボーカルには苦労しますよね……」
「まったくだな……」
 いずれこの場で、毛を逆立てた犬と猫のように睨み合うだろうボーカル二人を想像して、ARASHIと悠介は同時にため息をついた。
 どうやら、ボーカルの世話役であるところまで似ているようだ。
 ふっと口元がゆるんだそのとき、「おーい」と自分たちを呼ぶ声が聞こえた。
 そちらを向くと、 荷物を抱えたDICのメンバーたちが到着している。そこから少し離れたところで、こちらも大きな荷物を提げたダイダラボッチのメンバーが、大きく手を振っていた。
「うわ」
  ARASHIの姿を見た始は、露骨に嫌な顔をする。
「おい悠介、なんでDICなんかの隣で花見しなきゃいけねーんだよ!」
「まあまあ、始ちゃん……バズ・ロックのときは、DICに助けてもらったじゃない。ねえ?」
 悠介にへらりと笑いかけられたSHOは、愛想なく顔をしかめた。
「だからって、花見まで一緒にしたいとは思わねーだろ。ARASHIもなに考えてんだよ」
 口ではそう言いながらも、大きな包みを抱えたSHOは、靴を脱ぎブルーシートに上がってきた。いそいそと取り出したタッパーには、彩り豊かなおにぎりや野菜の煮物、鶏肉の照り焼きなどが、綺麗に詰め込まれている。
「わー、それ、もしかして自分で作ったの?」
 テイクアウトの春巻きや海老チリを広げながら、乾が感激した声を上げた。
「ああ、まあ……ボーカルは身体が資本だからな、なるべく自炊してる。どこかの誰かとは、心がけが違うんだよ」
 照れているのか、SHOはさっそく始につっかかっている。
「はぁ? なんか言ったか、SHO」
 始は提げていた荷物に手を突っ込むと、きっちり蓋の閉まった鍋を取り出した。
「豪快やなあ。鍋ごとか」
 KO-TAが目を丸くする横で、クーラーボックスからビールを出していたRENが、
「なんかいいにおいするな、カレーか?」
 と鼻をひくひくさせる。
「ああ、バー・サウスポーのマスター、マサさんの特製カツカレー。……余ってもしょーがねーからな。ちょっとだけなら、DICにわけてやってもいいぞ」
 バズ・ロックのとき助けてくれたしな、と始が早口に言うのにかぶせて、KAZUYAが「あ、俺、そういうのなんて言うか知ってる!」と割り込んだ。
「あれでしょ、オスソワケってやつ!」
「それは間違ってないけどな」
 声とともに現れたのは、コンビニの袋を提げた新田だ。
「箸買ってこいっていうから、念のためにと思ったら……おい始、おまえ、箸でカレー食うつもりだったのか?」
「あ、やっべえ……!」
「安心しろよ、スプーンも買ってきたから」
 諦めたように息をつくと、新田はコンビニ袋から、割り箸とプラスチックのスプーンの包みを取り出した。
「多めに入ってるやつ買ってきてよかったよ。おまえらも食うだろ、ミカエル」
 ほら、とDICの人数分のスプーンを差し出されて、おう、と素直に受け取ってしまう。
(なんていうか……DICとダイダラボッチって、別に嫌い合ってるわけじゃないんだよな)
 音楽に真剣だからこそ、なにかと張り合ってしまうだけだ。
 SHOと始だけは、どうしてだかマイクを離しても常にピリピリしているが、いざ花見がはじまってみると、ほかのメンバーたちは食べ物を融通したり、酒を注ぎ合ったりしている。
 ほろ酔い気分も手伝って、なんとなく和んだムードになっていたのだが……。
「なんだとSHO、もう一回言ってみろよ!」
「ああ、何度でも言ってやるよ」
 そんな声が上がったのは、宴もたけなわ、全員にほどよく酒が回ったころのことだ。
 ぎょっとして見やれば、赤い顔をした始とSHOがブルーシートの真ん中で立ち上がり、たがいの胸ぐらをつかむ勢いで睨み合っている。
(はじまったか……)
「おい、SHO。やめとけ」
 にわかに痛みはじめたこめかみを押さえ、ARASHIはSHOをたしなめた。
「ちょっと始ちゃん、まわりの迷惑になるから……!」
 悠介の制止を振り切った始が、SHOの鼻先に人差し指を突きつける。
「バズ・ロックではおまえらが勝ったかもしれねーけどなあ、俺たちのほうが絶対いい音楽やってんだからな!」
「なに言ってんだよ、審査員も観客も、DICの音楽が最高だって証明してくれたじゃねーか」
「じゃあもう一回勝負しても勝てるんだろうな!?」
「何回やっても同じだろ。始、俺はおまえに絶対負けねえ」
「っのやろ……俺だって、SHOとDICにはぜってー負けねー! まずは俺とおまえのタイマンからだ、勝負しろよ!」
「あーもう、だからやめてってば、始ちゃん……!」
 二人は、ふらふらと千鳥足で距離を取った。
 始が呼吸を整えるように目を閉じて、ダイダラボッチの十八番の曲を歌いはじめる。
「いいぞー、始ー」
 KAZUYAが無責任にはやし立てると、まわりの花見客まで興味を持ちはじめてしまったようだ。いいぞ兄ちゃん、もっと歌えとの声に煽られ、SHOが始にハモりはじめる。
「へー……SHOって、始ちゃんの作った曲、案外ちゃんと聞いてくれてんだ」
 悠介は、力が抜けたようにビニールシートに座り込み、心なしかうれしそうに言った。
 なんとなくいい気分になって、ARASHIも缶ビールをあおる。
「素直じゃねえんだよ、あいつは。昔からだ」
 満開の桜の花なんて、通っていた高校の校庭で見て以来かもしれない。
 ぼんやりと霞んで見える春の夜空を、枝からこぼれる花びらと、ぴったり息の合った歌声が流れていった。

   ▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 ひとひらの花びらとともに、聞き慣れた声が耳に届く。
 亮はぴたりと足を止めた。
(この声は、SHOと……始?)
「おや……彼らも花見でしょうか」
 かたわらに立つ黒岩が、眼鏡の奥の目をまばたいた。
 黒岩の手には、シャンパンとフィンガーフードの入った紙袋が提げられている。今夜は、この近くで行われる音楽業界の花見に、顔だけ出そうと立ち寄ったのだ。
「DICとダイダラボッチ、犬猿の仲かと思っていましたが。打ち解けているようですね」
「……どちらも音楽を志す人間の集まりだ」
「なるほど、たしかに」
 黒岩はうなずくと、亮のほうに視線を向けた。
「SHOたちにも、声をかけていかれますか」
「──いや、いい」
 亮はくるりと踵を返す。
「社長?」
「仕事を思い出した。きみはそれを持って、顔を出す予定だった席に挨拶をしておいてくれ。主催者には、俺から連絡を入れる」
「ああ……行く予定だったのは、SHOたちの席のすぐ近くですしね。邪魔をしては可哀想だと?」
「言っただろう。仕事を思い出したんだ」
「──わかりました」
 一礼する気配をたしかめて、亮はその場から歩み去る。
(前倒しで働いておくに越したことはない。DICがメジャーデビューすれば、ますます忙しくなるだろうからな)
 胸の中で呟くと、自分がSHOにかけた言葉を思い出した。
 ──きみらに声をかけたのは、このバンドなら、俺のかつて目指した音楽が体現できると思ったからだ。
 ──俺の……って、ザ・クロウが目指した音楽、ってことですか。
 ──そうだ。俺は、きみたちが売れるための道は作ってやる。
(そう……俺は、DICに賭けている)
 プロデューサーとしての決意も新たに、亮は花びらの舞う道を歩いていく。
 ──大丈夫です。ちゃんと、走りますから。
 あの日、しっかりとうなずきながら言った声で、SHOが始と歌っている。
 その歌声は、ひとりきりで歩いていた亮の、背中を押しているようだった。